介護職員も利用者も相手に求める『理想』がイライラを作り出す
介護のコツや介護を受ける時に”イライラ”しないためには、「現状を受け入れる」と言われることがありますが、現状の理由や原因をはっきりさせない状態で受け入れることなど、かなり難しいことを言われているような(求められているような)気になってしまいます。
介護する側と介護される側のそれぞれが求めている『理想』の介護を自分自身の中で振り返ってみてます。
理想と現実の違いを”受け入れる”には、自分の中にある『理想』を自覚する
注)具体的な割合は出せませんが、以前の職場で集めたデータをもとにしています。
利用者に求める『理想』とは
介護現場で働く人に『理想』の利用者像を聞いてみると、
- 「待って」と言ったら待っててくれる
- 大した用事でもないのにナースコール(呼び出し)を押さない
- 自分ができないことを理解して、独りで勝手に動かない
- 夜中に大きな声を出して他の利用者に迷惑をかけない
- 食事など素直にキレイに食べてくれる
など、「?」と思うようなことも含めて10人に聞けば10通り以上の返答が出ます。
利用者から見た『理想』の介護職員
一方で、入所あるいは通所や訪問などの利用者さんに介護職員に求める『理想』を尋ねると厳しい職員を求める方から、とにかく優しい職員を求める方まで実に様々な『理想』像が出てきます。
- 呼びかけにいつも笑顔で答えてくれる
- 怖くない介助をしてくれる
- できる、できないをはっきりと教えてくれる
- 頼めばすぐにしてくれる
- 急かさないで待っててくれる
など、10人十色どころか二十色位は出てきていました。
介助を受ける場面、状況に残る印象によっても答えが変わる利用者もいますが、職員にも得意不得意があれば当然かも知れません。
共通点を探した時に同僚が気付いてくれたのは、
「しっかりとコミュニケーションをとる人」が利用者さん達から返ってくる人物像や人物名として多く、直接的な介助技術に関する要望は少ないものでした。
介護職員側の求める『理想』の利用者は、本当に”要介護者”として求めているのか
何かしらの「介護」が必要な方が”要介護者”・”要支援者”として利用している事を思い出す
認知症も含めて、加齢による身体虚弱や疾患による障がいなど様々な理由で、施設・事業所のサービス利用しているのが利用者です。
利用者一人ひとりは、それまで各々の価値観や生活スタイルで長い人生を送ってきています。急に施設・事業所を利用し始めたからと、その場に全てを合わせていられる人は逆に珍しいものです。
介護職員側の方でも、転職を経験した人はほんの少しイメージしやすいかもしれません。
ちょっと大げさですが、テレビ番組で日本全国を転勤して各地の風習を紹介する番組をご存じの方もイメージしてもらえるかと思います。
※ 最近、よく耳にするいわゆる”ワンオペ”夜勤などは今回の話とは職環境やシステム的な面から論点が違うと思って書いています。
利用者の自立支援を念頭に置いての『理想』でイライラしている場合は、ケアプランの見直しが必要
利用者に求める『理想』がその人の生活にとって必要な”自立支援”に結びついていて思うように介護や支援が噛み合わない場合は、ケアプランでの意思疎通がうまく出来ていないことに原因があるかもしれません。
利用者の中には過介護や迷惑行為につながるような事を望む人もいますが、前述したように、しっかりとしたコミュニケーションを望んでいる人も多くいます。
「自分でできることは、自分でやって欲しい」と職員が利用者の望むことは、例え”楽”をしたいとの気持ちがあっても考えて悪いことではありません。
介護職員が”楽”を目指すことそのものは、「悪」ではない。
介護職員の”楽”が家庭で介護するときの”楽”につながることもある
繰り返しになりますが、そもそも介護保険は「自立支援」を目的としています。
金銭や薬の管理などの高度なものから、唾液を安全に飲み込む、寝たきりの人が少しでも自分で体の一部を動かせる、意思表示ができるなど
様々な状態での自立を促し支援することが前提となっています。
また、利用者ができることを自分で行った結果、介護職員側が”楽”になるという事は利用者の家族が介護する際にも同様の”楽”を期待することができます。
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”楽”を目指したときの「手段」が問題
介護者側が”楽”を目指すことは「悪」ではないと書きましたが、
絶対的に行ってはいけない
”楽”もあります。
いわゆる、虐待です。極端な夜勤や危険な状況を除いて、
- 立ち上がりが危険だから車イスにテーブルを付けっぱなしにする
- 不必要にベッド柵で閉じ込める
- 強い言葉で行動を制限する
- 長時間放置する
など、の行為は「安全のため」という言葉を盾にして行うことを”楽”とは言えません。
RAKUから利用者の「R」が
抜け落ちてしまっている”AKU”です。
利用者側の『理想』と介護者側の『理想』のすれ違いは、利用前の説明時点から始まっている
病院スタッフや地域民生委員なども介護に関する知識を深めてきちんと説明する
以前に違う記事でも書きましたが、介護施設・事業所が他との差別化を目論んで過剰なサービスを打ち出したことが一つの原因ですが、医療機関から移行して介護サービスを利用する際にも介護に対する誤解や認識のズレが見受けられます。
介護を受ける側と行う側の認識のズレを解消することも、お互いの求める『理想』を近づけていくためには必要で、そのためには医療現場や地域住民なども施設・事業所が行っている介護サービスの内容を理解する必要があります。
最近はなくなってきていますが、「介護施設に行くと色々と手伝ってもらえて、マッサージとかも沢山してもらえるから移ったら」なんて無責任な言葉をかけていく医療現場職員もいました。自然、利用者は介護施設に「いたれりつくせり」をイメージしたのに「話が全く違う」と大暴れされたこともあります。
利用者の理想が行き過ぎると・・・
『理想』を押し付けるのではなく、説明しあって”共有”していくと介護する側と介護される側お互いが気持ちのズレによる”イライラ”は減っていくかもしれません。
以上、今回の”斜め”な一案でした。
介護事業は「サービス業」のためか、「売上○○%アップ」などの目標は算定可能な加算を全て算定しても達成困難か職員が疲弊します。
そのためなのか、沢山の施設・事業所で色んな形の『理想』を耳にします。
しかし、どんなに高い『理想』やキレイな『理想』を掲げても、”介護保険”という土台の上で行う以上は、色々な方向ですぐに限界になってしまいます。
介護する側の限界はすぐに利用者の生活に影響します。介護の『理想』を考えてしまった時には、しっかりと立ち止まってのんびり、じっくりと悩んでみるといいかもしれません。
読んだ方の介護に関する”気持ち”がほんの少しでも「軽く」なっていただければ幸いです。
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